モノの扱いは人間関係と同じ

ミニマリスト

モノとの関係を考える

捨て活がスローペースになってきました。大量に捨てるモノが無くなってきたのです。着なかった服、使わなかった皿、複数あった文房具類。思ったよりも手放せました。

それから毎週の「ゴミの日」は少なくなったモノを眺めては気になっていたものを捨てるかどうか内面と向き合って捨てていきました。

先週、ゴミの日の巡回中に1つの雑貨に目が止まりました。私が中学生か高校生の頃に買った額入りのウォールトディズニーの不思議のアリスがモチーフになった記念切手でした。

ディズニー映画が好きで特に不思議の国のアリスは何回見ても飽きない、大人になっても育児中に子供の英語教育のためにとの口実でよくDVDを見てました。アリスの世界観が好きで私の人生もアリスが迷い込んだ不思議な世界と同じかもとよく妄想して楽しんでました。

モノとの付き合い方は人付き合いと似てる

30年近く持っていたこの額縁、コンパクトなA5サイズなのでいろんなところに飾ってました。しかし飽きもあり、ある時は戸棚の奥底に追いやったり、ふと見つけると懐かしさと共に一定期間大事に表に飾ってみたり。ずっと飾って愛でることがなかったのです。

このモノの付き合い方って、人との付き合いに似てません?

出会いは新鮮で「一生付き合っていきたい!」と思っても慣れてきて会う頻度が落ちてくる。しばらく連絡が来なくなって忘れたのかと思えば突然調子良く「昔からのご縁で。」さも大切にしてるように一定期間擦り寄ってくる。

私がモノの立場なら、「居ても居なくてもどうでもいい人」扱いに悲しみが込み上げます。

私は額縁に対してこんな扱いをしてたかと思うとゲスい自分のマインドに胸が締め付けられる思いでした。

長年持ってても使ってなければ「居ても居なくてもどっちでもいいヤツ扱い」

長年持っててすぐ思い出せないモノを「これ、私の宝物です。」と私は胸を張って言えません。

モノは自分の投影だとすれば、私も人間関係で「居ても居なくてもどっちでもいいヤツ」になってもすがっている関係が少なからずあるなと感じました。その気持ちはどうしようもない孤独と哀しさを伴います。

大切に使っていると芽生えること

私がことあるごとに使っているものとしては「傘」です。ロベルタの傘はネイビーとレッドの色調でロゴもうるさくないデザインに惹かれて当時は深くは考えずに「好き」だけで購入しました。

この傘、16年間ずっと雨の日は必ず持参です。長い付き合いの中、忘れ物にしたことも何度もありました。仕事で東京に行った際、宿泊したホテルに忘れてきたときはもう帰ってこないかもと諦めかけましたが、問い合わせると「あります。」とのこと。私は喜んで傘1本東京から送ってもらうために宅配してもらいました。

何度も失いそうになったけど、「好き」で買ったモノはできる限りの最善を尽くして手元に残そうと努力します。大切に使いたい、ずっっとそばにいてほしい気持ちは行動に現れるのです。

ミニマリストは強烈に1番好きなモノを365日片時も忘れない

ミニマリストの持ち物を紹介してる画像を見るとモノが少ない分、1つ1つに「好き」の思入れが強く、モノからもパワーをもらいます。それって持ち主が肌身離さず大切にしている証拠です。モノも反応してるのではないでしょうか?相思相愛の関係で自身の世界が潤うことを教えてくれてます。

まとめ

・長期間持ってても「居ても居なくてもどうでもいいモノ」はモノにとって哀しきこと。

・モノの扱いと人間関係は紐づいている。

・自分がモノをどうでもよく扱えば、自分も周りの人をどうでもよく扱ってることがあると知る。

・ミニマリスト思考はモノを強烈に愛してるのでモノからのパワーさえ上がっている気がする。

モノには感情はないけれど、買った人の心が映し出されてくるのかと思います。だからこそ、本当に好きなモノで囲まれた生活を実現させたいですね。

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