捨て活は取捨選択の訓練

ミニマリスト

買い物は決断の連続

モノと向き合っていると一つ一つ捨てるときは「どうしてコレ買ったんだっけ?」という質問に答えなければまた同じことを繰り返してしまうことを学びました。

ですが同じように必ず買う時も「買う理由」をつけて家へ持ち帰っているのです。

でもどうして捨てる時に困っているのでしょうか?

私が買う理由を自分で生み出してきた主な買い方はこちらです。

・服→新しい気持ちになりたい、周りから良く見られたい、仕事で必要とか。

・雑貨→可愛かった、すでに家にあるけどより性能が良くなってる、便利だからとか。

・私の場合は手芸店で布生地を購入することも多かったです。

子育て中にミシンを買って娘のために生まれて初めてワンピースを作りました。その感動体験で布で何か作ることにハマり、手芸店に頻繁に通ってときめくデザインの布を見てはバッグや洋服を作る妄想に浸ったら必ず購入してました。なのでハギレが大量に出て家のスペースを占領していました。

自分の決断のハードルが低くてすぐ購入

昔、年上の女性から買い物の話で「自分に必要だと思ったら買いなさい。」と言われたのを素直に聞いてました。それもあって店に行った時の私は何かにつけて「必要だ」と決めてるところがあり、そのため自分なりに納得して毎度モノを持ち帰ってます。でも買った後はお金の心配をしたり、モノが溢れたりしてるのですから思考が定りません。

今なら彼女の言ってたことがわかります。自分の生活環境と財布事情を把握した上で、「本当に必要なモノなら買いなさい。」と言ってたのでしょう。「本当に必要か?買わなくてもいい方法はないのか?」のもう一押しの問いがなかったのです。私の勝手な解釈があってここまでモノと思考をこじらせてきました。

人は毎日決断して生きている

人は朝起きた時から決断の連続です。

布団から出るか?でないか?、朝ごはんの卵は目玉焼き?卵焼き?、服は何を着る?顔を洗うのは今?着替えてから?、靴はどっちを履く?などずっと何か決めてます。

人は一日に9000回以上の選択をしていると言われています。

まさに「人生は選択の連続である。byシェイクスピア」ですね。

決断の多さは疲れにつながってる

一日9000回以上も決めてたら頭は疲れて当たり前ですね。

モノがあると余計に決めることが多いのかと感じます。

服をたくさん持っていると着る前に服の前で5分以上悩んんでいることがありました。

食器があると盛り付けに使う皿をどれにしようかと出来たおかずを前に悩みます。

これらは自ら買い物へ出かけ、視界に見えたモノに対して「いる?いらない?」の作業をして買ってきたモノ達。それをまた家の中でジャッジするのですからもうこれはマゾ行為ではないかと。

それにプラスして子供の世話もするので選択の回数は膨れ上がる一方ではないのでしょうか?

モノを少数精鋭にして決断の回数を減らす

モノが少なくなると選択の余地がなくなりました。

食器はスタメンのみを置いたら迷わずにおかずを盛れるようになりました。

服も2着にしたらサッと取り出せるようになりました。

靴もスニーカー1足とショートブーツ1足だけにしたら、普段はスニーカー、休日やちょっと街に行くときはブーツ。とあらかじめ決めておける状況に出来たので迷わなくなりました。

モノの数が減ることで決まった行動をするので余計なことを考えなくて良いことが実感できたのです。

すると心にゆとりが生まれてきて、周りに優しくなれるようになりました。

本当に大切に思うことに決断を使う

モノを減らして考えることを減らす。その先にあるのは「本当に考えることに脳を使う」ということ。

今私が大切に思っていることは「子育て」。なので子育てに関しておざなりになると心が荒れます。

そのためには私を取り巻くモノたちを減らすことで子供達に目が行きやすく、最善の決断に向かって思考を使えるのです。

まとめ

・人は買う時も捨てる時も決断の連続である。

・決断の数が多いと脳が疲弊するため本当に必要な決断がうまくいかないリスクがある。

・モノが減ると余計な決断が減り、本当に必要な決断が見えてくる。

・捨て活をする時に同じ失敗をしないようにしっかりモノと向き合うことは避けてはいけない。

決断はモノだけではないのですが、今は溢れすぎたモノを減らして自分の選択回数をシンプルに生活しやすくなることが優先課題として頑張ります。

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