自分のものは減らしたけれど家がすっきりしていない
捨て活が進んできて私のモノはだんだん視界から見えなくなってきました。おかげで心の混乱も減ってるようで家事導線が楽になり時間にゆとりができたのか朝の支度などがゆとりを持ってできるようになりました。
その一方で家族の持ち物が気になってきたのです。主に子供の小物の陳列が乱雑で、あてがってる収納スペース以上にモノが溢れて床に置きっぱなしになってるのです。
余白どころか散らかった部分が毎度見えるのがストレスになってきました。
家族の持ち物が気になってしまう
自分の持ち物は厳選してコンパクトになってきてるけど、そのほかの家族は同じ行動にはなっていないのでギャップが生じてきました。
今年、子供たちはちょうど卒業、入学を控えています。特に娘は小学6年間の思い出を整理する区切りとしていいタイミングなのではと片付けをお願いしました。ただ、娘は極端に捨てない性格でなんでもかんでも取っておいてきたので取捨選択する力がありません。なので強固突破で私が捨て活したいのですが、今度は我が家の捨てない代表の夫が娘に片付けを強制するなと抗議してきたのです。
勝手に片付けようとすると起こる弊害
夫の言い分はこうです。
娘の意思でちゃんと取捨選択できたモノでないと「勝手に捨てさせられた」と大人になっても根にもつよと。私が捨て活で「思い出は心の中にあってモノには宿ってない」ということが夫には違った形に映ったのでしょう。
そんなこと言われてもこの家の収納には限りがあります。なんなら少ない方なのです。娘のおもちゃやお絵かきなどの作品は年々溜まってこの数年でもう溢れてるのに減らすなと言われこちらとしても自分がやろうとしてることを阻害されてるように感じてショックでした。
ミニマリスト対マキシマリストみたいな構図になってきて余計なストレスを生みはじめてます。
ミニマリストを強制することはタブー
確かに突発的に始めた捨て活生活は私だけでした。日々励んでいる様子を家族はそっと見届けてます。私もミニマリストさんのブログや書籍を参考にして家族には強制しないことを意識してました。私がやってたらそのうち家族もやり始めるかなと思ってたのです。
でも一向にやる気配はゼロ。私は意識が尖り始めたようでだんだんと家族に無意識に強制し始めてたんでしょうね。ただ、それだと険悪な空気になるだけで本当に私が求めてる最終的な生活とはかけ離れてしまいます。
以前ミニマリストしぶさんが「片付けしようと思えたのは運だ。」と言ってました。また、「馬を水辺に連れてくることはできても、水を飲ませることはできない。」とことわざも引用して解いてます。
家族も個人の意識があります。いくら片付け良いよ!と私が勧めて理解はしてくれても行動に移すかどうかは本人のその時のタイミング次第なのです。
まずは自分を変えることだけに注力する
家族のものに関してはひとまず視界に不細工に見えな程度に収納しておくことにします。そして私の身軽に生活することに対しては貪欲になることを決めて捨て活を続行します。家族各個人の人生は一緒のようで一緒ではありません。なのでまずは自分がどうなりたいか、私のモノとの関係にもっと集中してみようと思います。
まとめ
・自分のものが少なくなってくると家族のモノを視界から消したくなった
・勝手に捨て活してると家族の反発が起こる
・片付けをしたくなるのは「運」次第。強制することはできない。
・まずは自分のモノとの向き合い方を徹底的に行うこと。
身近な存在の家族でも心の持ちようはみんな違います、なのでここは私の姿を見てどうなっていくのかを見ていつか何かしら変化してくれたらラッキーくらいに考えておくことにします。


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